2016年08月14日
私のラグビー経験が今もなお、引き継いでいる!
明石西高等学校のラグビー部OBとして、
瀬川ヘッドコーチのリオ五輪の快進撃は非常にうれしい!
そのラグビーの思い出として、
私は明石西高校入学後、ラグビー部に所属し、日々厳しい練習をし、
スクラムハーフ(スクラムを組んだところへボールを入れるポジション)をしていました。
高校入学当時は、58kgでキャシャな身体でしたが、
練習をすることで3年生では、68kgの筋肉質の身体に変わりました。
今では、筋肉も衰え、その面影はほとんどありません(笑)。
現役最後の 高校3年生の時には、県大会3位と健闘し、
その最後に試合で、ラックでもみ合いになって右大腿骨を骨折し、
3ヶ月の入院しギブスをはめて寝たきり状態でした。
ちょうど夏休み前でしたので、留年せずにすみました。
ラグビーは厳しいクラブでしたが、忍耐的にも体力的にも
人間関係も大いに学び、その経験が今も活かされています。
瀬川ヘッドコーチのリオ五輪の快進撃は非常にうれしい!
そのラグビーの思い出として、
私は明石西高校入学後、ラグビー部に所属し、日々厳しい練習をし、
スクラムハーフ(スクラムを組んだところへボールを入れるポジション)をしていました。
高校入学当時は、58kgでキャシャな身体でしたが、
練習をすることで3年生では、68kgの筋肉質の身体に変わりました。
今では、筋肉も衰え、その面影はほとんどありません(笑)。
現役最後の 高校3年生の時には、県大会3位と健闘し、
その最後に試合で、ラックでもみ合いになって右大腿骨を骨折し、
3ヶ月の入院しギブスをはめて寝たきり状態でした。
ちょうど夏休み前でしたので、留年せずにすみました。
ラグビーは厳しいクラブでしたが、忍耐的にも体力的にも
人間関係も大いに学び、その経験が今も活かされています。