2024年01月02日
初詣
毎年、初詣は氏神様の住吉神社にお参りしています。

西江井の氏神様には毎朝行っていて、日課になっています。
1月1日は新年のご挨拶を日が変わって0時過ぎにお参りし、
日の出の朝にもお参りしました。
その後、

魚住の住吉神社にもお参りしました。
大阪の住吉大社に伝わる『住吉大社神代記』によれば、
「住吉大神より『播磨国に渡り住みたい。
藤の枝の流れ着く処に祀れ』との宣託があり、藤の枝を海に浮かべると、
魚住に流れ着いた。そこで、雄略天皇8年(464)に魚住に住吉大神を
勧請したのが当社の創建とされ、その後、正応5年(1292)に
現在地に遷座した」とのことです。
明石市内には幾つかの住吉神社が鎮座していますが、
魚住の住吉神社がその代表格とされる所以がここにある訳だそうです。

楼門(明石市指定文化財)
楼門全体の姿態も整い、豪壮で、細部にわたり建築技法が優れています。

西江井の氏神様には毎朝行っていて、日課になっています。
1月1日は新年のご挨拶を日が変わって0時過ぎにお参りし、
日の出の朝にもお参りしました。
その後、

魚住の住吉神社にもお参りしました。
大阪の住吉大社に伝わる『住吉大社神代記』によれば、
「住吉大神より『播磨国に渡り住みたい。
藤の枝の流れ着く処に祀れ』との宣託があり、藤の枝を海に浮かべると、
魚住に流れ着いた。そこで、雄略天皇8年(464)に魚住に住吉大神を
勧請したのが当社の創建とされ、その後、正応5年(1292)に
現在地に遷座した」とのことです。
明石市内には幾つかの住吉神社が鎮座していますが、
魚住の住吉神社がその代表格とされる所以がここにある訳だそうです。

楼門(明石市指定文化財)
楼門全体の姿態も整い、豪壮で、細部にわたり建築技法が優れています。