2007年01月09日
「昭和の家」
この連休に「昭和なつかし博覧会」を見に明石の文化博物館へいってきました。

昔の明石の町並みの写真が拡大版で展示していたり、小さいころ使っていた電化製品が展示していたり、学校給食や昔の遊び道具がたくさん展示され、懐かしく思いました。
その中で、私の目に留まったのが、「昭和の家」図面でした。

昭和の家は、応接間を大切にし、玄関の横で、南東の一番いい位置に持ってきていました。
(お客様を大切におもてなしするためだったのでしょう)
そして、北東部の表鬼門と西南部の裏鬼門には水周りを避け、北西の一番寒いところに台所を持ってきていました。
家族の団欒は北の寒い茶の間で、縁側付きの和室は法事や来客用であまり使ってなかったように思います。
昭和の家は、明治の家から変わりつつあり、西洋化し、平成へと変わるそんなことが感じられる「間取り」だなと感じました。

昔の明石の町並みの写真が拡大版で展示していたり、小さいころ使っていた電化製品が展示していたり、学校給食や昔の遊び道具がたくさん展示され、懐かしく思いました。
その中で、私の目に留まったのが、「昭和の家」図面でした。

昭和の家は、応接間を大切にし、玄関の横で、南東の一番いい位置に持ってきていました。
(お客様を大切におもてなしするためだったのでしょう)
そして、北東部の表鬼門と西南部の裏鬼門には水周りを避け、北西の一番寒いところに台所を持ってきていました。
家族の団欒は北の寒い茶の間で、縁側付きの和室は法事や来客用であまり使ってなかったように思います。
昭和の家は、明治の家から変わりつつあり、西洋化し、平成へと変わるそんなことが感じられる「間取り」だなと感じました。